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生命情報科学の源流

第5回 1942-1943年:戦時下の生命論

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ミッドウェーの落日

 1942年(昭和17年)5月、ミッドウェー海戦に日本軍は敗れ、以降、戦局が好転する事は無かった。そもそも何故ミッドウェーを攻撃するのか、明確な目的意識が欠けていた。占領地域の拡大とともに迎撃に来る米・航空母艦部隊を壊滅させる、という二目的作戦とされながら、「どうせ米・航空母艦はいないだろう」と日本海軍はタカをくくっていた。しかし、ハワイの米海軍諜報班の120人は、日本連合艦隊の通信の90%を解読していたのである。1942年(昭和17年)5月1日に日本海軍は暗号コードを変更する予定で、こういった変更の後は米側もしばらくは暗号が解読できなかった。多忙な日本海軍はこの改定を見送ったのである。5月20日の山本司令長官の命令文の85%を解読し、米海軍は作戦の全容を把握していた。しかし攻撃目標の「AF」がどこを指すのか、確信がなかった。そこでミッドウェー島から「水が足りない」というニセ通信を発進し、これを傍受した日本軍が「AFは水不足」と通信するのを確認したのである。

 6月4日、陸上攻撃用の爆弾を搭載した艦載機が4隻の日本海軍航空母艦を発進、ミッドウェー島のレーダーがこれを捉えた。日本海軍の航空母艦にはレーダーは装備されておらず、哨戒に飛び立つ偵察機の発進が遅れたり引き返したりして、3隻の米空母を捕捉できずにいた。第一次陸上攻撃部隊が帰還の途につき空母の甲板に第二次陸上攻撃部隊が並ぶ最中に、「米空母発見」の報告が入る。第二次攻撃部隊の陸上攻撃用爆弾を使ってでもただちに米空母を攻撃するのか、帰還途中の第一次攻撃部隊を海中に不時着させる間に第二次攻撃部隊に魚雷を装備させるのか。結局、第一次攻撃部隊を収容し、それから第二次攻撃部隊に魚雷を装備させる最安全策を選択。魚雷を装備した第二次攻撃部隊がようやく発進しはじめたまさにその瞬間、高空から米爆撃機が急降下した。脆弱な木製甲板上に散乱していた爆弾や魚雷が誘爆し、搭載機の飛行の際に気流を乱さないように海面すれすれに低く設置した煙突から海水が浸入して、赤城、加賀、蒼龍の3隻は沈没した。ただ1隻残った飛龍は搭載機を発進して攻撃を繰り返し、米空母ヨークタウンを撃破したが、米軍機の攻撃を一身に受けて沈没、前方甲板に描かれた大きな日の丸は海中に没した。

→1942年(昭和17年)5月、ミッドウェー海戦において被弾後漂流中の「飛龍」。撃沈された他の3空母から数十キロほど離れていたため、最初の攻撃を免れた「飛龍」は米空母ヨークタウンを発見。2回に渡る爆撃で同艦に総員退去のダメージを与えるが、米急降下爆撃機に襲われて戦闘不能に陥り、翌日、海底に没した。

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