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生命情報科学の源流

第9回 1951年:ナポリの生命の糸

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ハーシー・チェイスの実験

 渡辺は言う。「3か年計画を考えた事自体が誤りで、あの時、ただちにウイルス増殖の研究に突入するべきだった」。最初に渡辺が計画したのは、ファージの増殖を決定付ける因子がDNAである事の証明。「1944年(昭和19年)に発表されたエイブリーの肺炎双球菌の実験から遺伝子の本体がDNAである事は明白だったから、そんな寄り道をするべきではなかったのに」。渡辺達はナイトロジェン・マスタードでファージのDNA合成を止めた時と、フォルマリンでタンパク質合成を止めた時の違いから、遺伝子の本体がどちらか結論しようと考えた。「しかし、それが結論された時に、次に何をすべきかを考えてはいなかった」。

 「日本という片田舎の高慢ちきな青二才の鼻柱は、1952年(昭和27年)に発表されたアルフレッド・ハーシーとマーサ・チェイスの論文で無残に打ち砕かれた。放射性アイソトープを使って、ファージが大腸菌に感染する時、DNAだけが中に入ってタンパク質は外に残る事を証明したのだ」。リン原子は核酸にしか存在せず、イオウ原子はタンパク質にしかない。二種の放射性アイソトープを使いわければ、どちらかだけを標識する事ができる。大腸菌の中に入るのは、リン、すなわちDNAで、イオウ、すなわちタンパク質ではなかった。ボーアや仁科達がはじめたトレーサー実験は、こんな革新的な結論を生んだのだ。

 後に渡辺がワトソンに会った時、「研究する必要がなくなった時になって、どうしてウイルス増殖機構を研究しようとしたのか」と問われて、「返事に窮した」。ハーシーはデルブリュック達がリクルートしたファ-ジ・グループ最初のアメリカ人メンバー。ワトソン自身はナポリでウィルキンスの講演を聞いた1951年(昭和26年)、すでにハーシー達の実験結果を知っていて、「DNAそのものの構造を議論すべき段階が来た」と考えていた。

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