生命情報科学の源流のトップへ WEB連載

生命情報科学の源流

第1回 世界を変えた第二次世界大戦

書籍関連・映画のご紹介

ブレッチュリー・パーク

 戦後も冷戦を背景に語る事を長く許されなかった歴史もある。ロンドン、ケンブリッジ、オックスフォードを結ぶ三角形の中心、ブレッチュリーに英国は秘密基地(パーク)を設営し、枢軸側の暗号を解読した。ドイツの方針を定期的に本国に打電する事により、ベルリンの日本大使館は、英国政府の戦争努力に大いに貢献していたのである。ブレッチュリーは、ケンブリッジの数学者を動員してドイツのエニグマ暗号を解読。最終的に、現代のコンピュータの原型とも言うべき装置、コロッサスにたどりついた。その中心に若き数学者アラン・チューリングがいた。彼の夢は、暗号解読ではなく生物学にコンピュータを応用することだった。生物の体や対称性がどのように形成されるのか、子どものころ読んだ本がきっかけで疑問に思っていた。1942年、戦時下の大西洋をわたってチューリングは渡米、米国での暗号解読装置の製造を協議。この時、ベル研究所に立ち寄って情報理論の創始者、クロード・シャノンに会っている。チューリングの渡米はこれが二度め。戦争直前、プリンストン研究所で博士号を得た時、となりの研究室にフォン・ノイマンが移ってきていた。

 ブレッチュリー・パークの存在はトップシークレットとされ、米国にすら、限定的な情報しか渡らなかった。英海軍に協力して天候の予測を考えるうちに、全く独立にフォン・ノイマンはコンピュータを夢見るようになる。ノルマンディー上陸の際、わずかな間の天候回復を信じて連合軍は作戦を実行したが、ドイツ軍はこれを予測できず、指揮官ロンメル元帥は不在だった。気象予報は戦争の行方を支配した。流体力学で用いられる風洞装置のようなシミュレーターとしてのコンピュータを夢見るようになり、ノイマンは“プログラム可能な汎用装置”という構想にたどり着く。そして、米陸軍が開発しつつあった計算機(ENIAC)の存在を知り、その改良と、より発展的なコンピュータの開発に努力する。弾道、つまり発射した弾がどう飛ぶかは、万国の陸海軍共通の最大関心事で、戦艦「大和」にも大がかりな機械式計算機が備えつけてあった。ENIACは「実際に弾が飛ぶよりも速く弾道を計算できる」と評判になる。

↑シラードがバス・シンカーなら、チューリングは走りながら考えた。ケンブリッジの郊外へと欠かさず毎日15マイルは走ったとされる。ヴィトゲンシュタイン同様、同性愛の傾向を持ち、これが原因で警察に逮捕され、後に自殺。この点では、映画『エニグマ』の主人公とは全く違っている。

↑ プリンストン高等研究所で1952年に完成したコンピュータ「IAS(Institute for Advanced Study)」の前に立つオッペンハイマー所長(写真左)とフォン・ノイマン(写真右)。2人はかつて、マンハッタン計画の主要なメンバーだった。「原爆の父」と呼ばれたオッペンハイマーが、戦後は核兵器に反対する立場に転じたのに対し、ノイマンはソ連への核攻撃を強く主張し、核先制攻撃症候群の名のもとに批判される。

書籍関連・映画のご紹介

BACK 1   2   3   4   5   6   7   8   9 NEXT

生命情報科学の源流のトップへ このページのトップへ