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生命情報科学の源流

第6回 1945年:最終秘密兵器

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ニ号計画

 長岡半太郎と仁科は、1941年(昭和16年)4月に陸軍航空技術研究所からも原子爆弾開発の可能性を打診されていたが、日本にはウラン原石が産出せず、二人とも消極的だった。しかし、1943年(昭和18年)には東条首相から直命を受け、“ニ号”計画(ニはニシナのニ)がスタート、ウラン原石に0.7%含まれるU235を熱拡散方式で分離しようとした。垂直に立てた筒の中心を過熱、外壁を冷却して、水平方向の熱拡散による同位体の分離を垂直方向の対流によって繰り返す方法で、1938年(昭和13年)に発表されていた。理研・仁科研究室の所属になった京大の湯川秀樹達も連鎖反応に達するウラン臨界量を計算した。

 仁科に断られた海軍は京大の荒勝文策教授に遠心分離方式でのウラン濃縮を依頼(F研究)、超遠心機の基本設計を考える途中で敗戦を迎えた。ドイツでは、水平方向の遠心分離を垂直方向の対流で重畳する多段階遠心分離機が開発された。海軍は、敗戦まぎわのドイツから酸化ウラン235を大量に運ぼうとしたが、ドイツの降伏によりUボートは米軍に投降、艦内で二人の日本人士官は自殺した。

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