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【Aperitif de Cinema】「映画」という名のメイン・ディッシュをより深く味わうために、“科学フレーバー”の食前酒はいかが?

写真・文/佐保 圭

今宵の逸品

スパイダーマン2&1

さえない青年が、ある日、クモに刺されたその時から、不思議な力を手に入れた!
奇才サム・ライミがアメ・コミから生まれたスーパー・ヒーローを映画化

幼くして両親を失った主人公は、ある日、遺伝子を組み換えた特殊なクモに偶然噛まれたことから、超人的な能力を身につけ、愛する人たちを守るために戦うヒーローとなる。『スパイダーマン』ではスパイダーマンがいかにして生まれたか、そのプロセスが詳しく語られ、『スパイダーマン2』では、4本の機械の手を持つ強敵との壮絶な戦いを通して、スパイダーマンがヒーローとして認知されてゆく様子が描かれる。奇才サム・ライミのブラック・ユーモアのセンスに富んだストーリーづくりが、単なるヒーローものの枠を越えた魅力を醸し出している。

■タイトル:スパイダーマンTM2プラス1
■監督:サム・ライミ
■主演:トビー・マグワイア
■価格:¥4,179[初回限定生産]
■発売・販売:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメン

DVD
スパイダーマン2&1
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今宵の1杯

クモの糸にぶらさがるのは男の夢だ!

 2007年5月、待ちに待った『スパイダーマン』シリーズの第三弾『スパイダーマン3』が封切られる。

 子どもの頃から『スパイダーマン』は大好きだった。特に、手首のところから出した糸を使って、ターザンのようにビルの谷間を飛び回るシーンには胸を踊らせ、想像の世界で成りきって遊んだりもした。ただ、現実の世界では、軒先に張られたクモの巣を枯れ枝の先で巻き取りながら「こんなに弱いんだから、人間がぶら下がるなんてことは絶対に無理だろうな」と諦めていた。

 あれから30年たった今、夢は現実に変わろうとしていた。

 奈良県立医科大学の大崎茂芳教授が「クモの糸」でつくったひもに自らぶらさがり、その強さを実験で証明したというのだ!

 2007年2月、「クモの糸でつくったひもに、あの『スパイダーマン』のようにぶらさがれるって本当ですか?」と尋ねると、大崎茂芳教授は笑顔で言った。
「ええ、ぶらさがれますよ」

 そして、実験に使ったという“クモの糸でつくったひも”の切れ端を取り出した。

▲研究室で「クモの糸」の強さについて語る奈良県立医科大学の大崎茂芳教授。

 クリーニング店が使っている針金ハンガーほどの太さで、まさに映画『スパイダーマン』シリーズで描かれているのと同じ。もし、こんな細いひもに人間の体がぶら下がれたら、確かに『スパイダーマン』のイメージそのものだ!

 大崎教授は2006年5月、コガネグモ約100匹から3ヶ月かけて太さ5マイクロメートルの糸を採取し、約19万本の束にして、この“クモの糸のひも”をつくった。今あるのは切れ切れとなってしまっているが、当時は太さ約4ミリ、長さ約10cmのロープをつくり、それをハンモックの一部に使って体重65kgの自分が乗ってみたのだという。

 大崎教授は、その時に撮影した写真を見せてくれた。

▲自宅のウッドデッキで実験中の大崎教授。確かに“クモの糸のひも”が大人1人の体重を支えている!(写真提供=大崎茂芳教授)

▲上部の太いロープと下部のハンモック側の太いロープとをつないでいる細いわっかの部分が“クモの糸でつくったひも”だ。(写真提供=大崎茂芳教授)

 確かにぶらさがっている!
「実際には加重の加え方によって変わりますが、理論上は600kgまで耐えられる計算になります」と大崎教授は言い、その仕組みを説明してくれた。

 クモは世界中に約4万種おり、日本には約1200種ほどいる。約半数は造網性つまり“クモの巣”を張り、残りの半数は巣をつくらないが、「糸を出す」という点はすべてのクモに共通しているという。

 一口に「クモの糸」と言っても、実は7種類に分かれる。

 クモの巣を例に説明すると、巣の一番外側の円形の枠組みとなる部分が「枠糸」、その枠を木の枝や軒先などにつなげているのが「繋留糸」、巣の中心部分と枠組みとを放射状につないでいるのが「縦糸」、その縦糸にうずまき状に張り巡らされ、エサとなる虫を捕らえるための粘着球のついている糸が「横糸」、巣の中心でやや密に張られたクモの住居部分は「こしき」と呼ばれる。

 そして、クモが獲物を迅速に捕まえる際や危機に遭遇して逃げる場合などの「命綱」として使うのが「牽引糸」で、この牽引糸を付着させている部分の糸が「付着盤」だ。

 クモの腹部にある多数の吐糸管(糸を出す管)は、いろいろな形の7個の絹糸腺に連結していて、各々異なったアミノ酸組成を持つタンパク質が分泌され、それぞれの目的にあった糸が出されるのである。

 これら7種類のうち、「命綱」である「牽引糸」こそが、例えばクモが天井などからすーっと降りてくる時に使っているあの糸であり、スパイダーマンがターザンのようにぶらさがっている糸に当たるものであり、今回の実験に使われたひものメインの材料だった。

「この牽引糸は、円柱状の2本のフィラメント(繊維)からできており、1本でクモの重さを支えられる。つまり、もし1本が切れても、もう1本で体重を支えられるようになっているんです」(大崎)

 大崎教授は電子顕微鏡によりジョロウグモの牽引糸の断面積を求め、その弾性率を測定した。すると、結晶していない(しなやかさを持つ)非晶性高分子の中では、ポリスチレンの弾性率が1GPa程度に比べ、ジョロウグモの牽引糸は幼体で10.0GPa、成体では12.9GPaと、かなり高い弾性率を持つことがわかった。

 クモの糸は、その断面積を考慮した強度を考えれば「切れにくい、強い糸」だったのである。

 これまで、クモに関する研究は、その大半が分類学や生態学的な見地からのものであり、「クモの糸」にテーマを絞っての科学的研究はほとんどなかった。

 そうは言っても、「クモの糸」が強い繊維であることは、昔からよく知られていたという。

 では、なぜ、そんな「切れにくい、強い糸」を何かに利用しようとしなかったのか?
「現在、強くて、軽くて、しなやかなクモの糸の特性には注目が集まり、防弾チョッキや手術用の糸などへの応用が期待されています。ただ、化学合成はもちろんのこと、遺伝子工学を利用しても、現段階では効率的に目標のクモの糸をつくることはできないのです」と大崎教授が説明してくれたように、現在の優れた科学力をもってしても「クモの糸」と同等の化学繊維をつくり出すことはできないのだという。

 ならば、カイコと絹糸のケースのように、直接クモから採取すればよいのでは?
「実は、クモから糸を採取するのがとても困難だからこそ、これまで、クモの糸でつくった製品どころか、その研究すら、まともに進んでこなかったのです」と大崎教授は説明した。

 言い換えるなら「クモの糸取り名人」の大崎教授の存在があって初めて「クモの糸」に対する一連の実験と研究が実現したのだった。

▲研究室の片隅のクモの巣とオオジョロウグモの亡骸を指さす大崎教授。このほかにも、研究室のいたるところにクモの巣が張っており、中には、無数の微少な子クモのついたものもあった。

 1946年に兵庫県で生まれた大崎は、’76年に大阪大学大学院理学研究科の高分子学専攻で博士課程を修了する1年前に、神崎製紙(現王子製紙)に入社。シールなどに使う粘着剤の研究に携わって1~2年経った頃、大阪大学の上山憲一先生(現名誉教授)から、ある化学雑誌に「粘着とクモの糸について書いてほしい」と依頼を受けた。

 その時に「クモの糸」に興味を覚えて以来、「趣味として(大崎)」クモの糸の研究を始めたという。

 ところが、「これが非常に難しかった。捜してみると、クモはそう簡単に見つからない。それに、クモを集められたとしても、糸を出させて採取するのがとても難しかった」

 最初は「誰もやったことのない研究をしよう」と思い、少しは調べられていた「糸の強さ」については敢えて避け、光学的な特性や紫外線に対する反応などをテーマに据えた。

 しかし、肝心のクモの糸がなければ研究は進まない。けれど、クモの糸を提供してくれるところなどどこにもなく、結局、自分で採取するしかなかった。そこで、まずはクモの生態を知るべく、高知県や鹿児島県で行われている「クモ合戦」の観戦に出かけたりもした。

 そんな地道な努力を続けて20年、大崎はいつしか「クモの糸取り名人」になっていった。

 そして、1995年に島根大学教育学部教授に就任したことをきっかけに、まだ不十分な研究しかなされていなかった「クモの糸の強さ」に本格的に着手したのである。

 一本の糸の強さは証明できたので、次はクモの糸のひもにぶら下がってみたいと思った。そして、クモの糸をたくさん集めさえすれば用を足せると思っていた。しかし、現実の糸集めは悪戦苦闘の連続であった。

「今回のクモの糸にぶら下がる実験に対して『ただクモの糸を集めただけじゃないか』という考えもあって当然だと思う。でも、その『ただ集める』ということがどれだけ困難なことか、あまり理解してもらえない」と大崎教授は言う。

 クモの糸の採取の難しさは、次の3点に集約される。

 第1に、クモがいつでも糸を出してくれるわけではないこと。「牽引糸」はクモがぶら下がるための糸なので、その「宙ぶらりんの状態」においておかないと出してもらえない。

 第2に、クモが糸を出し始めたとしても、ずっと出し続けてくれるわけではないこと。嫌になるともう糸を出さないし、途中で糸を切って地面にすばやく降りて逃げてしまう。

 第3に、糸を出していても、それが主に「牽引糸」であるとは限らないこと。特に、驚かせたりすると、他の6種類の糸のいずれかも一緒に出してしまい、「牽引糸」を主とした試料にならなくなってしまう。

 これだけの条件をクリアしなければならないのだから、確かに大崎教授の言う通り、クモの生態に通じていることはもちろん、採取の作業をする上での手先の技術が習熟していなければならないわけだ。

▲手製の巻き取り機でクモの糸を採取しているところ。クモが糸を出して降りる速度に合わせて、巻き取り機を回転させる。クモを安定させ、どれだけ“気持ちよく”糸を出させるかによって、巻き取りのスピードが決まる。ちなみに、大崎教授の巻き取りスピードは調子のいいときは毎秒30cmくらいだという。(写真提供=大崎茂芳教授)

「最近、学生や研究補助員に頼んでクモの糸を採取したが、牽引糸以外の糸が混ざっていたりして、研究に使えるような糸はほとんど取れなかった」と言う大崎教授に「クモの糸採取」の秘訣を尋ねると「クモをいたずらに刺激せず、気持ちよく糸を出させることです。そのためには、こちらも心を落ち着かせた状態でなければダメ。無理矢理ではなく、相手の気持ちになって……“クモ”と呼吸を合わせるぐらいにならないと……私のように30年近くやっていればある程度わかるのですが、言葉にして伝えるのは難しいですね」

 その話に関して、大崎教授はある逸話を語ってくれた。

 かつて、クモの糸を研究課題に選んだ学生に糸の採取を頼んだが、糸を出さなかったり牽引糸以外の糸を出したりして、どうしてもいい試料が取れなかったという。

「どうやら失恋して落ち込んでいたらしいのです。ところが、もうクモが糸を出しにくくなる10月頃から、突然、いい試料が取れ始めました。気持ちの整理がついて、安定したからでしょうね。それまでは、心の不安定さをクモに悟られていたんですかね」

▲クモの糸の巻き取り機を手にする大崎教授。

 現在は、大崎教授のもう1つの古くからの主要テーマである「コラーゲン」と「クモの糸」との関係について研究を進めているという。そんな大崎教授に、今後の夢を尋ねた。

「4億年も前から生きてきたクモの研究を通して、深遠な“命の仕組み”を少しでも明らかにしていきたい」と言ったあと、大崎教授はふと笑みを浮かべて言った。
「もちろん、クモの糸は作りたいね」

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